この大和魂という言葉は、『源氏物語』以降、何度か流行を繰り返した歴史を持っている。
江戸時代の国学者である本居宣長も、そういった言葉の信奉者。
明治に入ってからは、さらにその言葉が聞かれることになる。
『吾輩は猫である』の中にも、
「大和魂」という言葉が流行語のようになったことを、
皮肉を込めて、
夏目漱石は、「三角なものが大和魂なのか、四角なものが大和魂か。
大和魂は、名前の示す如く魂である。魂であるから常にフラフラしている。」
と表現している。
この本が書かれた当時、日露戦争が日本の勝ちで終わった時期で、
街中が「大和魂」で浮かれているような時代だったことも読み取れる。
それ以降、終戦に至るまで、
この「大和魂」という言葉がいろいろなところで使われていた。
ダイエーの創業者中内功氏は、砲兵隊として過ごしていたときに、
「我々には大砲などがありません」「そんな砲の不足は大和魂で補え!」
と上官から言われたという。
何かにつけ精神主義的なニュアンスを込めて使われていたようだ。
そんな風に使われたことの反動があり、戦後は、ほとんど聞かれなくなった。
終戦後、ただ一度だけ流行したことがある。
それは、1967年にプロボクシングで世界王者となったハンマーパンチの異名を取る
日系人3世の藤 猛(ふじ たけし)が勝利したとき。
彼は、片言の日本語で、「オカヤマのバアちゃん見てる?」という言葉とともに、
「ヤマトダマシイ」という言葉を語った。
それが、大いに日本人視聴者を喜ばせたりした。
その後、勝ち抜いたときにインタビューには必ず「ヤマトダマシイ」という言葉を使っていた。
ただ、この藤猛、ノリ良く、常に「オカヤマのバアちゃん見てる?」と言っていたが、
そのバアちゃん、
実際は、「ハワイで、藤猛と一緒に暮らしていた」?!
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